必要以上にチームワークを美化するのは・・・?

 昨日行われた女子駅伝で、中継地点手前200メートルから、選手が這いつくばってタスキをつなげたとのこと。今朝のワイドショーが取り上げていた。

 何でも、足の脛の疲労骨折で走ることができなくなったそうだ。監督は、大会本部にいてモニター観戦しており、中止させようとする意思が、現場のスタッフに伝わらなかったらしい。ほかに手立てはなかったのか・・・?と思わざるを得ない。

 

 最近のスポーツ界の不祥事を通じ、パワハラ、根性主義、理にかなわないトレーニング等々問題が浮き彫りになる中で、このようなシーンを見せられると「まだ、この程度の問題意識か!」と思ってしまう。

 

 タスキをつながなければ・・・、という責任感は、日本では、“一体感”、“チームワーク”が美化される中で必要以上に選手にのしかかってくるのではないか。本来個人競技のはずの種目が“団体種目”としてやたらと多くなっているのは無理やりチームワークを美化し表現したいからではないかと以前から疑問であった。

 ボール競技はパスやオフェンス・ディフェンスの機能を備えなければならないから、一体感、チームワークは必須の競技であるが、駅伝や体操の団体などは“所詮個人競技でしょ”と言いたくなってしまう。

 

 この傾向は各種の世界大会にも共通する事象である。前々回冬季オリンピックソチ大会からフィギアスケートでさえも国ごとの団体種目を作ってしまう有様。おかげで、オリンピック種目が増え、金メダルが増えるというメダル価値の希薄化が起こってしまうと思うのだがIOCや各競技の国際団体はどのように考えているのだろう?

 想像するに、日本のメディアだけでなく、海外のメディアもスポーツコンテンツを欲しがっているからであろうが・・・。

 

 また、冬の季節が来て年明けには箱根駅伝。日本人のマラソンランナーがなかなか育たないのは、駅伝に力を入れ、長距離ランナーが20kmの走りを身体(カラダ)が覚えてしまったカラダ!?